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民団新西支部のブログ

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第6回オリニスキーツアーを迎えて

 2010年新西支部が初めて開催したオリニスキーツアーが今年で6年目になります。今年も2月7日(土)日帰りで岐阜県の荘川高原スキー場に行きます。

 1回目のスキーツアーに小学校1年生で参加した男の子が今は6年生になりました。6年間の記録(参加者名簿、スキー講習可否など)をみると子ども達の中で6年間皆勤している男の子が三人います。
 三人とも幼稚園生の時初めて参加してソリで遊んでいましたが、4年生、5年生になった今はスキーを上手に滑れるようになりました。6年の間に高校受験などで一年不参加だった子どもは受験が終わって又参加してくるし、記録をみるだけで子ども達のいろんな成長が読み取れます。 

 新西支部が子ども行事として初めて開催したイベントは2008年秋のリンゴ狩りでした。大型バス1台で長野県に行ったリンゴ狩りは楽しくて好評でした。しかし、子ども達がリンゴの木からリンゴをもぎ取ってからは他にやることがないまま自分たちで遊んでいるのをみて、せっかく一日かけて日帰りで遠出するなら何か学べることがあって思いっきり遊べる内容がよかろうと思って始めたのがスキーツアーだったわけです。

 支部が単独で開催して果たして何年続くだろうと思いながら、恐る恐る第1回目のスキーツアーに出発したのが昨日のごとく思い浮かびます。その日は名古屋を出発する前からあいにくの大吹雪。スキー場は目の前がはっきり見えないほど吹雪いた大荒れの天気でした。凍えるような寒さで、せっかく用意して行ったスープを外で温めることさえ大変だったです。昼食用でみんなに配るつもりで用意したおにぎりは凍ってしまってとても食べる気にならなかったし。それでも子どもたちは元気に雪遊びを楽しんでいました。その初回のすきーツアーに参加した子どもは20名でした。

      2010年スキーツアー1            2010年スキーツアー2
         上の写真は2010年1回目のスキーツアーの時の様子です。テントを張ろうと試みたんですが、
        強風で屋根が崩れてしまいました。
  

 その後、3回目の2012年から中村支部と共同開催になりバス2台でスキー場に行きました。4回目からは他支部の事務部長や希望者が交流して同行するようになり、5回目の昨年は民団愛知全体のスキーツアーとしてバス4台、参加者約150人という規模で開催するに至ったわけです。
 幼稚園や小学校低学年から参加してきた子ども達が上手にスキーを楽しんでいる姿をみると、こちらまで嬉しくなります。 

 じゃ、あと3日でスキーツアーです。子ども達と共にいっぱい楽しんできたいです。
 





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  1. 2015/02/04(水) 17:30:33|
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施設に入った団員ハラボジを見舞ってから

 高齢団員が圧倒的に多い中、家庭訪問をするとハラボジ、ハルモニが少しずつ衰弱していく様子に気づく場合が多いです。ひと月や双月単位なら分かりにくいですが、半年や一年となりますと明らかに体の動きや話し方が違うのが見てわかります。


 団員さんの中に93歳のおじいさんがいます。91歳の奥さんが一年ほど前に別の介護施設に入ったため、一人暮らしをしていたその方の自宅を昨年10月まで毎月訪問して30分から1時間ぐらい話し相手をしたりしました。下半身が不自由で椅子に座っていることさえも苦痛になるほど弱っていましたが、冗談が好きな方で話しながらよく笑っていました。まだ体が元気だった時は自分の畑で育てた野菜を車でもってきては事務所の前に下ろして行ったことも度々ありました。昔、他県の地方本部で役員をやったことがあるそうで、民団のことをいろいろ聞いてくることも多かったです。

 
 昨年の11月からそのおじいさんが介護老人保健施設というところに入居したことをその方のケアマネに電話して分かりました。ショートステイとデイサービス、ヘルパーなど介護サービスを最大限利用しながら自宅で暮らしていましたが、もう無理という家族の判断により施設に入居せざるを得なくなったわけです。


 見舞いにその施設を訪ねましたら、四人部屋のベッドで横になっていたおじいさんが私を見て嬉しい顔で迎えてくれました。ベッドのそばに立ったまま(椅子がなかったので)しばらく話をして帰ってきました。建てられたばかりの立派な施設だったですが、どことなくそわそわした感じでした。車いすでエレベーターの前まで私を見送って下さったおじいさんの顔が寂しそうでした。


 帰り道、気が重くてなかなか元気がでない自分を奮い立たせて事務所に戻ってきました。
 願っても願わなくても私は人生の黄昏時に差し掛かったハラボジ、ハルモニ達をたくさん見守るようになります。そこで、自分に何ができるかを考えないわけにはいきません。





  1. 2015/01/23(金) 17:14:54|
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ユホンジュン(兪弘濬)教授の北韓文化遺産踏査紀を読んで

 年末年始休みの特別な楽しみの一つは時間の余裕をもって本が読めることです。  


今年の正月休み中に夢中になって読んだ本は韓国の美術歴史学者であるユホンジュン(兪弘濬)教授の

『私の文化遺産踏査紀』第4巻「平壌の天気は晴れです」という本です。

この本は兪弘濬先生が1997年に朝鮮アジア太平洋平和委員会の招請を受けて12日間にわたって

北韓地域の文化遺産を踏査して書いた紀行文です。

 1997年はまだ南北の交流がほとんどなかった時期で、彼の訪北は政府関係者以外の民間人が

両方の政府が認めた上で訪北許可をもらって北韓を訪ねたほぼ初めてのケースだったそうです。

彼は12日間滞在しながら平壌市内外と妙香山の文化遺跡地と高句麗古墳を踏査して

文化遺産のことはもちろん限られた中で接した一般住民達の生活や情緒、ユーモア感覚などを

たくさんのエピソードを混じってリアルに書き残しました。 写真もたくさん載せて現地の風景と雰囲気を

生々しく伝えてくれています。 



 新年から北韓の文化遺産踏査紀を読みながら改めて胸を過るのは南北の統一に対する切ない思いです。

 昨年11月、韓国ソウルの統一教育院で3泊4日間の研修を受けた時、いちばん心に残った講義内容の

一つがなぜ統一をしなければならないかに対する話と分断費用、統一費用と統一実益に対する話でした。

 今の若者の中には、膨大な統一費用を払ってまで統一をする必要があるかという懐疑論が少なくない支持を

得ているようです。しかし、日帝の植民地支配からの解放と同時に韓国に強いられた分断という状況が

韓国の現代歴史をどれほど歪曲させたか、いかに多くの人々の人権を踏みにじってきたのか、分断の故に

払ってきた費用(命、財産を含む有形無形の損失)がいかに莫大だったのかを痛烈に考えてみる必要があります。

 統一されない限り今も、未来にも払い続けなければならない分断費用と統一のために払わなければならない

統一費用を合わせても統一がもたらせる実益の方がもっと大きいと統一教育院の講師は言いましたが、

それは沈没して引き揚げられた天安艦を見に行った時、身に染みて分かりました。 天安艦事件によって亡くなった

46人の尊い命は本当に胸の痛い分断費用の一つです。  


 本を読んでからの感想文がだいぶ逸れましたが、北韓文化遺産の紀行文を読みながら

今年は南北関係が少しでも良い方向に改善されることを切に願います。


 今はその本の続きで金剛山文化遺産踏査紀を読んでいます。(毎日チビチビ・・・ 





  1. 2015/01/13(火) 12:10:18|
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いつの間にか2ヶ月が過ぎましたね。申し訳ありません。(汗)

 しばらくブログを触らずにいましたが、最後の更新からあっという間に2ヶ月が経って自分でもびっくりしました。

 9月から10月にかけて行事が続きまして、写真もいっぱい溜まっています。
 
 心機一転して一つずつ載せていきます。 

 行事のサイクルが決まっていまして似たような行事が繰り返されるわけですが、参加する方も

少しずつ入れ替わったり、内容も違ったりしますので、支部の歴史を記録する史官のつもりで

淡々と記録していきます。至らないところの多い記録者ですが、よろしく。
 



  1. 2012/10/25(木) 15:50:55|
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ある方のお見舞いに行ってきて。

 団員さんの中にとても元気で陽気なおばさんがいました。

 平日は早朝から仕事が始まるので、朝早く家を出て昼頃帰ってくる方でした。

 多忙な日常の中で唯一の楽しみが、午後2時から3時の間、近所の友たちと一緒に

近くの喫茶店に行ってコーヒーを飲みながら話す時間だそうです。

 私が用事があって訪ねたいと電話すると、「喫茶店に来てね。」と会う場所を

喫茶店に指定するので、私も何回か喫茶店で一緒にコーヒーを飲んだりしました。

 
 先月、ある日に午後3時頃その喫茶店近くを通って「ひょっとしていらっしゃるかな。」と

寄ってみたら、喫茶店入り口前にいつもならおいてある自転車がありませんでした。

 「珍しく今日はいないね。」と思って他のところに行きました。

 5時頃事務所へ帰り道に自宅に寄ってみました。その時間だったら必ず家にいる方だったから

顔見てあいさつでも、と思ったからです。

 しかし、自宅に誰もいない…。

 「夫婦でどこか出かけたかも。」と思いながらメモを残していこうとメモ用紙とペンを取ったとき、

結婚して近くに住んでいる長男が歩いてきました。

 あいさつしながら「お母さん、留守ですね。」と、声をかけました。

 「ええ、それが… 入院しています。」

 「入院?いつからですか。」

 約2ヶ月前に畑で倒れたのを近所の方が見付けてすぐ救急車で運ばれまして、手術して命は助かったものの

かなり重い後遺症が残ったそうです。脳梗塞だったそうです。


 すぐ見舞いに行こうと思って入院している病院を聞いたら、お母さんが他人に会うのを嫌っているから

私が行ってもよいのかを聞いてみると言いました。

 長男に私の携帯番号を教えて帰ってくるとき、本当にびっくりしてしばらく心が落ち着かなかったです。

 まだ67歳。

 脳梗塞で半身不自由の身になるとは…。

 今までそのお母さんに家族みんなが頼って生きてきたような、文字とおりその家庭の大黒柱だった方です。


 翌日、息子さんから電話が入りました。

 「お母さんが会いたいと言っています。」

 さっそく時間約束をして病院に訪ねていきました。

 半身が不自由で手も足も腫れていましたが、思ったより暗い顔ではなかったのでホットしました。

 言語障害もありまして会話らしい会話はほとんどできなかったですが、久しぶりの再会(約2ヶ月半)を

喜んでくださいました。涙が出そうでしたが、私は普段とおり明るく振舞いながら話をしました。

 1時間くらい話したらリハビリの時間になって作業療法士が迎えにきました。

 そばでリハビリの様子を見ても良いと言うから一緒に付いて行き、リハビリ室のベットのそばで

しばらくじっと様子をみて、帰ってきました。


 
 「これから二人の長い道程が残っているね。」とご主人さんが淡々と私に言いました。

 奥さんが倒れてから毎日病院に行って看病するのが仕事になったというご主人さん。

 「私のせいでこうなったんだ。私が早朝から苦労させてきたから。」

 「自分を責めることないですよ。それより奥さんが少しでも自立できるように支えないと。」

 「あなたが来てくれて喜んでるんだよ。この近くまで来たら寄って下さいね。」

 病院の玄関前でご主人さんとそんな会話を交わして駐車場に向かいました。


 苦労が絶えなかった人生でしたが、天性の明るさで前向きに生きてきたおばさんです。

 病に倒れて体は不自由になりましたが、ご主人さんも子どもたちもみんなそばにいて

くれてよかったです。

 これからなるべく時間をつくってお見舞いに訪ねたいと思っています。

 おばさんが少しでも体がよくなりますようにお祈り致します。




  1. 2012/07/12(木) 13:35:34|
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