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在日同胞学生野球団

 韓国日刊紙『ハンギョレ』新聞に掲載された昨日(2015年2月25日)の記事一つを翻訳して紹介します。

[ユーレカ] 在日同胞学生野球団   金ヤンヒ

 
 在日同胞出身の金星根(キムソングン)ハンファ・イーグルス監督が覚えている韓国の初印象はこうである。「とにかく暑かった。山に木が1本もなかった。塀に弾丸の痕もあった。」

金監督は1959年8月、在日同胞学生野球団の母国訪問競技大会に参加して初めて韓国の地を踏んだ。『チョッパリ』と言われたりもしたが、20日ぐらい母国で生活してから彼の未来は変わった。日本に戻って韓国語の講習を受け翌年に永住帰国した。彼は「母国訪問競技がなかったら、今は違う人生を生きていただろう」と言った。

 
 在日同胞学生野球団の母国訪問競技が始まったのは1956年であった。大韓野球協会の李シンドゥク理事長は当時〈韓国日報〉に寄稿したコラムで「在日同胞学生野球団の訪問は野球普及のためにも大きな意義があるのみならず、これを機に優秀な技術を教わるようになるなら韓国の野球界に多くのプラスをもたらすだろう。」と言った。実際に、在日同胞学生野球団は果敢な走塁プレイ、バウンドのない弾丸送球など一足早い野球実力を見せてくれた。当時、同胞のチームを引率した李スジン監督は、韓国の高校チームに対して「捕手は内側、外側調節にもっと気を配るべきだし、投手はシュートがないようである。守備もボールを前の方で取らず足の方でのみ取ろうとする。バットを握るのもみんな自分勝手だ。」と指摘した。

 在日同胞学生野球団の訪問は韓国戦争の後、停滞していた高校野球に技術的にも理論的にも韓国野球がまた花を咲かせる滋養分になった。母国訪問競技はその後40年以上続いて親子が代を重ねて選手として参加した事例もあった。しかし、滞在費などの問題で1997年以降は中断された。

 3月に封切予定の実験映画〈グラウンドの異邦人〉は在日同胞学生野球団のことを描いている。母国のグラウンドの上で響いた『故郷の春』を今でも覚えて口ずさむ彼らの姿から、我々が現在忘れているのは何なのかを顧みる。


金ヤンヒ記者 whizzer4@hani.co.kr


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  1. 2015/02/26(木) 15:36:48|
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